900万回再生突破!『通行人が足を止める歌声』と話題のシンガーソングライター・平岡優也にEmoメン弦間哲心がインタビュー!
2020.10.16
通りすがりの人がYouTubeに投稿した一本の路上ライブ動画が900万回再生越え!そのソフトな雰囲気に、聴き手の心を優しく包み込むような澄んだ歌声が“通行人が足を止める歌声”と話題のシンガーソングライター【平岡優也】に、やわらかい笑顔が魅力のEmoメン・弦間哲心がインタビュー!
中国の動画サイトにアップされた路上ライブ動画がきっかけで、中国でも人気に火が付き、bilibili動画のフォロワー数は148,000越え。そんなアジア全土で注目を集めている【平岡優也】が、10月16日(金)に路上ライブの定番曲でもある「僕が君を選んだ理由」を配信リリースする。
本インタビューでは、新譜「僕が君を選んだ理由」をはじめ、6月にYouTubeに公開された「ガラスヒーロー」「アマノガワ鉄道」の制作秘話、音楽との出会いや上京エピソード、路上ライブを始めたきっかけや、一躍彼を有名にした900万再生を突破している動画について、さらに人前で実力を発揮するためには?など、夢を叶えるべく日々レッスンに励む弦間哲心の “気になる”に、たっぷり答えていただきました。
たまにほっこりする2人のメンズトークを、秋空の下撮影した、爽やかなインタビューカットとお届けします。
愛猫との出会い
■弦間哲心(げんまてっしん)です。よろしくお願いします!
平岡優也 よろしくお願いします!
■早速インタビューを始めさせていただきます。最初から少し脱線してしまうんですが、SNSを拝見させていただいた時に、猫がよく登場するなって思ったんですけど、猫を飼い始めたきっかけはなんですか?僕も猫が大好きなので気になってしまって。
平岡 本当にたまたまです。ある日、髪を切りに行く予定があって高円寺に向かったんですけど、その美容室の近くに猫カフェとペットショップが一緒になっているお店があって、美容室までまだ時間に余裕があったので、ふらっとその猫カフェに立ち寄ったんですよ。そこで、今飼っている子に出会って、飼うことに。元々、猫は飼いたかったんですけど、まさか髪を切りに来て、猫を飼うことになるとは思わなかったです(笑)。
■え~~!流れで!
平岡 そう。流れでとんとん拍子に飼うことに(笑)。それがきっかけですね。
■それから沢山、SNSに猫が登場してくるんですね。
平岡 そうなんですよ。超可愛くて。哲心くんはお家では動物は飼っているの?
■僕は住んでいるマンションがペット禁止なので、飼えないんです。だから猫カフェに行っています(笑)。
平岡 そっかそっか。じゃあ飼える機会がきたら、その時は猫友としてよろしくお願いします(笑)。
自分も誰かのヒーローでありたい。「ガラスヒーロー」
■お願いします!!では、歌について聞いていきたいと思います。僕が平岡さんの曲の中で一番好きな曲が「ガラスヒーロー」なんですけど、このタイトルに込められた意味が気になりました。ヒーローじゃなくて、なんでガラスという繊細なワードをつけているのかなと。
平岡 コロナウィルスが蔓延して、僕らミュージシャンもそうですし、俳優さんは舞台がなくなったりだとか。エンタメ業界のみならず、社会的に大打撃を受けて、そんな中、自分の部屋からみんなに何を届けられるかなって思った時に、今だからこそ暗い曲よりも、明日を明るく生きていけるような、そういう曲を届けたいと思って制作したんですけど、この曲の大きなテーマが“みんなにとってのヒーロー”ってなんですかっていうところで。
きっと、家族だったり、恋人だったり、友達だったり、好きなアイドルだったり、みんなにとってのヒーローっていると思うんですよ。でも、俺にとってのヒーローは、自分自身だったんです。一人暮らしをしていて、部屋の中から何かを発信する時って、もちろん誰かに届けたいって気持ちはあるんですけど、自分に歌っている部分もあって。そう考えた時に、ガラスのようにちょっと弱い心を持っている自分だけど、そんな自分も誰かのヒーローでありたいって意味を込めて、「ガラスヒーロー」というタイトルになりました。
■めちゃくちゃカッコいいですね。しびれます!
平岡 ありがとうございます!
■この歌詞で「君がくれた大丈夫」っていう歌詞があると思うんですけど、ここに登場してくる“君”は誰ですか?僕は先生とか家族とか恋人とか、支えてくれる人が大丈夫って言葉をくれたと解釈をしていたんですけど。
平岡 聴いてくれた皆さんにとっての君=家族や恋人、友人などに、当てはめて聴いていただきたいんですけど、僕のとっての君は、僕自身のことです。
人前に出る時は音楽でみんなを励ましている側だけど、一歩家に入ったら、なんで上手くできなかったんだろうとか、やっぱり落ち込む時もあるんですよ。そういう時に助けてくれるのって、心の中で「あの時頑張ったじゃん」って言ってくれる自分自身で。だから僕にとっての君は、心の中の自分を指しています。
■カッコいい。本当に好きなんですよこの曲。お風呂に入る時にずっと流しています。
平岡 ありがとうございます!嬉しいな。
■僕、男子なので、ヒーローっていう単語が響くんですよ。
平岡 男の子って何歳になってもそうだよね。事務所の人も大人になってもそういうものに心惹かれるものだよって言っていました。
ただの片思いじゃなく、叶わない片思いを書いた曲。「アマノガワ鉄道」
■僕もこのままだと思います。次は、「アマノガワ鉄道」に関して聞いていきたいんですが、この曲もまた違った良さがあって、よく聴いているんですけど、片思いの曲に感じました。実際はどういう想いが込められた曲なんですか?
平岡 「ガラスヒーロー」を作ってすぐに着手したんですけど、この曲は夏をイメージした曲です。僕の中で夏=成功する恋よりも寂しい恋をすることが多いイメージだったので、そこから恋を題材とした曲を書こうと思って書きました。だからおっしゃる通り、片思いの届かぬ恋を歌った曲です。
僕はいつも、鍵盤を触りながら作詞作曲を同時進行で作っていくんですけど、この曲は、ピアノの前に座ってから割とすんなり終わりまで作れました。
■「あの星々たちみたいに 1年に1度会えるわけじゃないのに」って歌詞が凄く遠い存在の人に恋をしているのかなって思いました。
平岡 なるほど。哲心くんは今まで生きてきた中で、アイドルとか芸能人に恋をしたことはある?
■小さい頃、僕ドラゴンボールが凄く好きで、18号っていうキャラクターが凄く好きでした。
平岡 クリリンの奥さんね。
■そうです。取られました。
一同 (笑)。
平岡 でもイメージはそんな感じで、叶わぬ恋だけど、落ちてしまう時って絶対に世の中あると思うんですよ。どうしても人間って一回好きだって思っちゃったら、友達に「あの人やめなよ」って言われたとしても、多分動いてしまう人がほとんどだと思うんです。そういうただの片思いじゃなく、叶わない片思いをイメージして書きました。
彦星と織姫は一年に一回は会えるけど、もし一年に一回すら会えなかったら。そう考えるとしんどいなって思いながら書いた曲です。
■僕なんて一生会えませんからね(笑)。
平岡 そうだね(笑)。
ウエディングソングであり、父母のことを書いた曲。「僕が君を選んだ理由」
■「僕が君を選んだ理由」は、路上ライブの定番曲だったんですよね。なぜ今のタイミングでリリースされるのかなって。定番曲ならもっと前にリリースするんじゃないのかなって。
平岡 僕だけじゃなくて、ミュージシャンの方って、世に出ていないデモ音源(歌とピアノだけ。ギターやドラムが入っていない状態のもの)を凄く抱えているんですけど、それをもとに、レコード会社の人や事務所の人達と一緒に話し合って、季節やタイミングに合うリリース曲を決めていくので、実は「僕が君を選んだ理由」以外にも路上ライブで歌っている曲のほとんどがリリースされていないんです。「僕が君を選んだ理由」も2年くらい前の曲なんですけど、みなさんからこの曲いいねって言ってもらえる曲だったっていうのと、自分からもこの曲を今やりたいと思っていたので、今リリースすることになりました。
■「僕が君を選んだ理由」はウエディングソングなんですよね。ウエディングソングを作ろうと思ったきっかけが何かあったんですか?
平岡 最初は、ウエディングソングを作ろうと思って作ったんじゃないんですよ。単純に僕の父ちゃんと母ちゃんってどうやって出会ったんだろう。どこで恋に落ちたのかな。どういう恋愛をしてきたのかなって気になったところから始まった曲で。
僕、四人兄弟の一番末っ子なんですけど、両親が22歳の時には、もう一人目が生まれていたんですよ。
■めっちゃ早い。
平岡 そう。まだみんな遊んでいる年齢に、家庭に身を捧げていた2人の馴れ初めが気になって、父母の曲を書いたんですよ。だからこれはウエディングソングというよりかは、2人を歌った曲です。
特に裕福な家庭でもなかったし、これといって毎日面白いことがあったかっていうと決してそうではなかったけど、でも家族の愛を感じる思い出が沢山あって。その延長線上で、僕は将来どんな人と結ばれるかなって思った時に、自分の父ちゃんと母ちゃんのように温かい家庭を築ける人と一緒になりたいなって思ったんです。海外旅行に年に何回いかないといけないとか。タワーマンションに住みたいとか。そういうんじゃなくて、猫と好きな人と子供がいたらいいって。そういう将来への想いも込められた曲ですね。
歌が上手くなる=自分の声を好きになること。
■凄い!そういう想いが込められた曲だったんですね。ありがとうございます。
ずっと気になっていたんですけど、これだけ素敵な歌詞を書かれる平岡さんはやっぱり学生時代から国語とか文章を書くことが得意だったんですか?
平岡 あながち間違っていないです。僕の家は、綺麗に1番目、2番目が理数系で、3番目、4番目が文系だったんですけど、父ちゃんは数学が得意で、母ちゃんは国語が得意だったんですよ。昔から僕は、母ちゃんに顔含めて似ているって言われていたんですけど、母ちゃんに似て国語の成績も本当に良かったです。でも理数が全滅みたいな(笑)。
■やっぱり作詞できる方は国語得意なんですね!ちなみに、三曲とも通して英語の歌詞がないなって思ったんですけど、なにか理由はあるんですか?
平岡 日本語が凄く好きなので、歌も日本語で届けたいって気持ちが凄く強くて。日本語の響きとか繊細な言い回しとか、日本語ならではの良さがあると思っているので、あえて英語は歌詞には入れたことがないですね。
■どうしたら、そんなに綺麗で、温かくて、切ない歌声になれるんですか?僕もボイトレをやっているんですけど難しくて、どうしたらそんな素敵な歌声になれるのか聞きたいです。
平岡 猫を飼うことかな。
一同 (笑)。
平岡 嘘です(笑)。声って、モノマネみたいに作ろうと思えば作れたり、それぞれに似る方向があるじゃないですか。だから上手くなりたいなら「モノマネをしろ」って言われていたりもするんだけど、そこから先は、自分次第だと思います。
実は僕自身も、自分の声をあまり好きじゃなかった時もあったし、僕の声をいいって言ってくれる人もいれば、全然ビシッとこない、もっとガチガチきてほしいって言う人ももちろんいて。でもそれって、凄く人間らしくていいなって思っていて、確かに全世界に好かれる声は絶対にないよなって。そのことに気が付いてから考え方が変わったかなって思います。
さっき哲心くんが僕の声をいいと思って、どうやったら出せるんですか?って聞いてくれたけど、それよりも自分の声を好きになってほしいなって一番思いますね。
母ちゃんから渡された一枚のコンサートチケットがきっかけに。音楽の道を志して上京
■自分の声と向き合うんですね。凄く参考になります。ありがとうございます!
次は、音楽との出会いに関して聴いていきたいのですが、19歳の時に音楽に心を奪われて東京に上京されたんですよね。そのきっかけとなった音楽はなんですか?
平岡 中身のないような生活をしていた18歳の時に、急に母ちゃんが僕と仲の良かった友達にチケットを渡してきたんですよ。「あんたたちそんなに力有り余っているんだったら、ライブでも行ってきなさい」って、その時に渡されたのが、かりゆし58さんの秋田公演のチケットでした。初めてそこでプロのライブを観て、「アンマー」を聴いて、凄いなって心動かされたのが一番のきっかけだと思います。
あと、その時よく聞いていた19(ジューク)さんっていうゆずさんと同じ時期に路上から火が付いたアーティストさんがいて、その人の音楽を聴いて音楽をやりたいなって思ったのもきっかけです。だからこの曲に心奪われて音楽をやりたいってなったっていうより、色んなきっかけが重なって音楽をやりたいって決心しました。
■僕もかりゆし58さんの「アンマー」が好きです。
平岡 そうなんだ!お母さんのことを歌った曲だよね。
今考えてみると、母ちゃんがあの時、チケットを渡してくれて、ライブに行ったことが僕の中での音楽のスタートになったのかもしれないです。
■お母さんがきっかけをくれたんですね。でも上京って凄く大きな決断だと思うんですよ。
平岡 ねぇ。凄いよね。ちょっと今考えてもぞっとする(笑)。
■僕、関東住みなので、実家から東京に通っているんですけど、もし僕が秋田とかだったら上京する決心はできないだろうなって思うんですよ。その行動力が凄いなって。
平岡 ありがとうございます。
■家賃とかも大変ですよね。
平岡 東京の家賃が物凄く高くて、びっくりしました。
秋田の時は、高校を卒業してから2年間くらいアパレルで働いていて、社会には出ていたので、実家暮らしでも秋田の物価の相場も分かってはいたんだけど、東京に出てきてその家賃の高さにまず驚きました。最初に住んだところが6万円で1Kかつ都心からは離れていたんですけど、秋田だったら3L借りられる金額なんですよ。物価も違うし、本当にあの時は大変だったな。
■きっと上京したての時はバイトをして音楽活動もして、両立が大変ですよね。
平岡 そうだね。東京に出てきて一番最初に始めたバイトが、まかないがでるからって理由で居酒屋だったんですけど、17:00~終電くらいまでアルバイトをして、家に帰るのが12時半とか。そこからピアノを触る生活を繰り返していました。
ピアノとの出会い
■そうだったんですね。20歳でピアノを始まられたということで、なぜピアノだったのかなって。僕の中だと、楽器始めたいって思ったらまずギターってイメージがあったので。
平岡 そうだよね。僕も最初はギターを始めようって思ったんですよ。音楽ってなったらまずギター!ってなるし、好きなアーティストさんもみんなギターだし。だからギターかなって思ったんですけど、上京と同時に通い始めたボイストレーニングの学校で出会った先生がずっとピアノをやっている方で、その先生から「将来音楽をやりたいって気持ちは分かったけど、平岡くんは将来何になりたいの?」って言わたんですね。作詞家なのか、作曲家なのか、シンガーなのか、アイドルなのか、シンガーソングライターなのかって聞かれて、その時そんなに選択肢があることに驚いて、そこから明確に将来を考えたんですけど、元々やりたいことはメッセージを音楽で届けたいことだなって思って、シンガーソングライターの道を選びました。そしたら、「楽器弾けなきゃまずいよね。俺ずっとピアノやってきたからまずピアノを教えるよ」って言われて、そこでピアノをやり始めたのがきっかけです。
だから先生がもし、ギターの先生だったら、僕はきっとギターを弾いているんだと思う。
■もしかしたら今の平岡さんはいなかったかもしれないんですね。
平岡 そうだね。先生には感謝しています。
初の路上ライブは、新宿南口。
■では、そこから路上ライブを始めたきっかけは?
平岡 このままじゃまずいなって思ったのがまず一つ。東京に出てきて、ずっとアルバイト生活をしながら、音楽をやっていたんですけど、どこからがちゃんと音楽活動をしていることになるのか自分でも線引きがわからなくて。果たして、事務所に入ってからなのか、CDを1枚作ってからなのか、メジャーデビューしてからを音楽活動していると言っていいのか。
このままの状態で人に胸を張って音楽活動をしているって言えるのか?って自問自答すえに、まずは路上ライブをやろう!って決心をして。ネットで、路上ライブ用に小さいピアノやその他機材を買って、アルバイトも減らしたんですよ。で、音楽でちゃんと生活していけるようにしようって半ばハングリー精神で、自分を追い込むために始めました。
■初めての路上ライブはいかがでしたか?レッスンやカラオケで歌うのとは全く違う環境だと思うんですが。
平岡 これはね、とても辛かったですよ(笑)。
一同 (笑)。
平岡 もうね。今でも覚えてる。新宿の南口でよく路上ライブをやっている場所あるでしょ。僕の中でも路上ライブのスタートはまずあそこって思っていたから、SNSで今日新宿で路上ライブをしますって告知をしてから、新品の機材をもって、新宿まで行ったんだよ。そしたら、もう何組か路上ライブをやっていて、人が集まっているところもあれば、全然集まっていないところもあって、それを見つつドキドキしながら、空いている場所に機材を広げて始めたんだけど、全然人が止まらなくて、心折れながらHYさんの曲などを歌いました。そこから何曲か歌ったあたりで、お巡りさんが右から止めに来ているのが見えて。僕のところにもきて、ちょっとキツネ目の眼鏡をかけたお巡りさんに、「ダメだから君」って言われて、「すみません。今日初めてやってみたんですけど。」って言ったんだけど、「初めてでもダメだから」って言われて、謝ってから片づけました。
お巡りさんも一番左端まで注意しに行き終わったあたりで、何気なく右を見たら、最初に止められていた女の子がまたやろうとしているんだよね。それで、お巡りさんが一回行ったら、もう一回やれるんだって勘違いしちゃって、俺もまた準備をはじめて(笑)。そしたら、お巡りさんが左からまた戻ってきて、「さっき言ったじゃん。なめているの?」って結構強めに言われて。「すみませんでした」ってまた片づけながら、だめだったわって気持ちが落ちている時に、SNSの告知を見て一人だけ見にきてくれて、「平岡くん終わっちゃったの?聴きたかった」って言ってくれたんですよ。その一人だけでも来てくれたことがもの凄く嬉しくて、次も頑張ろうって原動力に繋がったのを覚えています。
再生回数900万回越えの路上ライブ。RADWIMPS「スパークル」
■ありがとうございます。YouTubeで900万再生されているRADWIMPSさんの曲を歌っている路上ライブの動画が話題ですが、その動画以外にもRADWIMPSさんの曲を歌われている動画をよく目にするのですが、なぜRADWIMPSさんの曲を歌われているんですか?
平岡 一つは、RADWIMPSさんの世界観、野田さんの詞が凄く好きで、昔からよくカラオケでも歌っていたからっていうのがあるんですけど、昔テレビ番組にゆずさんがキーの高い曲を沢山出している理由を話されているのを見たんですね。ゆずさんは路上ライブ時代からとんでもない数のお客さんを集めていたんですけど、路上ライブって車の走行音や広告の音楽が流れている環境下で歌うから自分の声が届かないんですよ。そんな中で自分の曲を歩いている人に聴かせるためにはどうしたらいいんだろうって考えて出した結論が高いキーの曲を歌うこと。高いキーの曲は、町の中でも声が抜けて低い曲よりもよく聴こえるみたいで。それでゆずさんはわざとキーが高い曲を作っていたって話をテレビで聞いて、野田さんの優しい声で、少し高い声質で歌えるRADWIMPSさんの曲なら、ゆずさんと同じく、歩いてる人に届きやすいじゃないかなって思って歌い始めたのが一つのきっかけでした。
■それで900万再生ってすごいですね。路上ライブを今までされていて、得られたことや、成長できたなって思うことを教えてください。
平岡 絶対的にあるのは雑草魂。路上ライブで誰も止まらなかったり、一枚もCDが売れなかったり、罵詈雑言を言われるとこもある。そういう経験をしてきているからこそ、ライブが開けることや、イベントのステージっていう場所を与えてもらえることが凄く幸せなことだってより思える。
今も路上ライブはやっていますけど、路上ライブ時代があったからこそ、そういうことに感謝できる心や強い心が持てるし、色んなものに気が付くことだってできる。そういう精神は路上ライブで結構ついたなって思います。
■メンタルが鍛えられるんですね。芸能系の活動ではそういう雑草魂って大事ですよね。
ちなみに、僕はカラオケでも、大人数ってなると緊張するくらい人前で歌うのがちょっと苦手なんですが、どうやったら路上ライブで実力を発揮できるのか教えていただきたいです。
平岡 その気持ちわかる(笑)。初めての人とかいると緊張するよね。
■そうなんですよ。僕、カラオケでも緊張するので、路上だったらもっとするんだろうなって。なので、どうすれば900万回再生いくような実力を発揮することができたのか凄く知りたいです。
平岡 今の時代、YouTubeやTikTokなどSNSに誰でも動画をあげられるからこそ、凄く数字にとらわれるじゃないですか。でも、僕らが根本的に路上ライブをやりたいと思うのは、面と向かって誰かに歌を届けたいっていう思いがあるからで、みんなこの歌で何万回再生取るぞって気持ちでは歌っていないと思うんですよ。来てくれたファンや歩いている人に届けたいって、気持ちで路上は歌うようにしています。特に路上ライブってファンがいなかったら、全員知らない人じゃないですか。そんな初めましての人達の足を、歌声で、音楽で、自分の方に引き寄せるって凄いことだと思うんです。
僕の場合、みんなが知っている有名な曲を歌って、道行く人に、今の曲知っているとか、一つの繋がりを持たせて、まずは立ち止まってもらってから、自分のオリジナル曲を披露するようにしているんですけど、人の曲を歌っても、自分の曲を歌っても、目の前の人に届けようって気持ちで歌っていることには変わりないです。
■相手に伝えるって気持ちで歌うっていうことが大事なんですね。
平岡 うん。それが一番大事なことだと思います。
低評価がない状態の方がまずい。―批評が生まれてからが本当のスタート。
■YouTubeも観させていただいたんですけど、全体的に低評価がめちゃくちゃ少ないじゃないですか。コメント欄を見てもいいコメントばかりで、どうしたらそんなに評価されるのかなって気になりました。
平岡 僕は今の低評価がない状態の方がまずいと思っていて。いいコメントやいい評価が多いってことは、僕のことを好きで聴いている人だけが観てくれているってことじゃないですか。だからこそ、批評を受けるようになったら、ちゃんと他の人にも見てもらえているフラットな状態なんだろうなって。批評が生まれてからが本当のスタートだと思います。
■一個上にいけるって感じなんですね。
平岡 そうそう。もちろん批評されれば僕も人間なので、傷つきますし、嫌だけど、でもそういう風に指摘されて初めて、ちゃんとみんなに届いているんだなって思います。
■ありがとうございます。あと、YouTubeに睡眠用の音楽が多いことが凄く気になりました。
平岡 寝てばっかりやんってなるよね(笑)。
■(笑)。 なんで睡眠用を多く投稿しているのかなって。
平岡 制作の合間にカバー曲を息抜きで録ったりするんだけど、音楽を作る時間が、夜中の12時~朝4時・5時くらいにかけてが多いんですよ。その時間って当然世間が寝ている時間帯だから、あまり大きな声も出せなくて、睡眠用になってしまいます (笑)。
■そういうことだったんですね(笑)。
平岡 あとは、僕の声質的に朝から元気に聴くっていうよりかは、人を寝させる方が合っているのかなっていうので、睡眠用を録っています。
■意外な理由が。なるほど。起床用は激しい方がいいですもんね(笑)。
平岡 マキシマム ザ ホルモンとかね。
■まさに僕のお母さんはマキシマム ザ ホルモンの曲をアラームにしているんですよ。なので、もし機会がありましたら起床用も。
平岡 わかりました。ぜひその時はインタビューよろしくお願いします(笑)。
一同 (笑)。
中国進出のきっかけを与えてくれたのも路上ライブ。広がりが激しい時代だからこそ、そういうチャンスもある。
■お願いします(笑)。次はこれからの活動についてお聞きしていきたいのですが、中国でも活躍されていて、bilibiliやDouyinは何十万ってフォロワーもいますよね。どんなきっかけで中国でも人気になったのかお聞きしたいです。
平岡 たまたま中国から旅行で日本に来ていた中国人の方が、僕らの路上ライブを撮影していて、それを中国のYouTubeみたいな音楽サイトにアップしてくれたのがきっかけで。
その動画が中国で火がついて、500万再生とかいったのかな。そんなことになっているなんて僕自身知らなかったんですけど、たまたま中国から日本に留学している中国人の方がInstagramをやっていて、僕のInstagramにDMをくださったんですよ。「あなた中国のサイトで凄いことになっているわよ」って。最初は、全部中国語だからわからなくて、本当に?って半信半疑だったんですけど、実際に見てみたらやっぱり僕で。それで、中国で一つ火が付いたことがわかったので、日本でいうTwitterのWeibo、Tik Tokに似たDouyin、ニコニコ生放送に似たbilibili動画の計3つの中国のSNSをスタートしました。
そのきっかけを与えてくれたのも路上ライブで。携帯で撮ってすぐに拡散できる時代なので、良いことも悪い事もありますけど、広がりが激しい時代だからこそ、そういうチャンスも凄くあるんだなって思います。
■確かにいまはSNSがチャンスに繋がりますよね。一つの投稿がきっかけで人生が変わりますよね。
最後に、今後の夢を教えていただきたいです。
平岡 全国ツアーをやりたいです。
僕、日本に住んでいるのに行ったことのある県って両手で数えられるくらいしかなくて、そのきっかけになるのが路上ライブもそうなんですけど、ツアーだと思うんですよ。もちろん中国や台湾にも行きたいですけど、まずは日本でツアーをやれるように成長したいなと思います。その先にある僕の大きい目標は、横浜アリーナでライブをすることです。
■その目標に向かって、路上ライブや音楽活動頑張ってください!応援しています!
平岡 ありがとうございます!
■本日は、インタビューありがとうございました!
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応募締め切り:2020年11月13日(金)
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